中世西洋音楽とグレゴリオ聖歌に魅せられて


 

中世西洋音楽とキリスト教

中世西洋音楽とキリスト教の関係を考える

西洋音楽史の中世をどの時期から始めるかというと、キリスト教の歩みに沿って考えることが妥当でしょう。やはりキリスト教と音楽の密接な関係から考察します。4世紀になり、コンスタンティヌス帝がキリスト教に改宗し、やがて395年にローマ帝国がビサンチウムとローマと東西に分裂し、事実上キリスト教会の支配におかれたときから中世は始まりました。

キリスト教の典礼音楽の発達

キリスト教では、他の芸術と比較して、とりわけ音楽を重視しています。すでにマタイ福音書の中で「食事後にかれらは賛美歌をうたったのち、かんらん山に出ていった(第26章20節)」と記述があります。ギリシア音楽理論と、ヘブライ(ユダヤ教)典礼音楽の影響を受けつつ、キリスト教独自の典礼音楽が発達したのもこの時期です。なお、これら聖歌は、楽器を典礼に合わない俗化した音楽だとして排除して、男声のみで歌い継がれてきました。

記録

使徒パウロの書簡
使徒パウロの書簡で「詩のうたと賛美のうたと霊の詩をとなえ、あなたたちのこころを挙げて主に向かってうたい、そして賛美せよ(エフェゾ人への手紙第5章19節)」「心の底から、恩寵によって、詩のうたと賛美のうたと霊の詩をもって神を言祝げ(コロサイ人への手紙第3章16章)」と奨めています。3つの聖歌は「詩編唱」「賛歌」「メリスマ(よろこび)ゆたかな歌」に相当すると解釈されています。
フィロンが記した記録
アレクサンドリアの哲学者 フィロンが記した記録「瞑想的生活について」に、エッセネ派テラペウタイ集団の集会の模様が述べられています。「五十日ごとに行われる集団の共同の食事の後、集団の指導者は立ち上がり、神への賛歌を歌う。それは指導者自らが作った新作の場合でもあり、先達が残した数多くの語句と旋律の中から選ばれることもある。-(中略)-その後、出席者全員が席次に従って順繰りに歌っていくが、一人が歌っている間、他のものは完全に沈黙を守り、ただ聖歌の末尾でのみ唱和する。」この記述から読みとれるように、最初は参加を2部に分かれて歌いあうアンティフォナー(交唱)だという説から、最近は順番に歌っていくかたちをとられていたのだと解釈されています。
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東方諸教会の聖歌

東方聖歌の歩みについて説明しましょう。初期および東方教会の聖歌については、原典となる史料が殆ど存在しないため、詳しいことは不明です。唯一の資料として、エジプト・オクシリンコスで発見された「三位一体の聖歌」で、パピルスにギリシア記譜法で紀元3世紀に書かれたものがあげられます。東方教会は、ローマ帝国の東半分およびそれに隣接する地域に成立した教会で、それぞれ固有の聖歌を持ってきました。地域により、地中海沿岸の中近東のシリア教会、黒海とカスピ海の間にあるアルメニア教会、エジプト土着のコブト教会、エチオピア地域に発達したアビシニア教会などがみられそれぞれ独目の聖歌を持ち、まったく共通性は見いだすことが出来ませんでした。むしろ、その地域に根ざした民族音楽の要素を強く含んでいたそうです。

ビサンチウム聖歌
中世前半、東ローマ帝国の国教であるギリシャ正教=ビサンツ教会で歌われていた聖歌は、中世ギリシア語で歌われていて、東方諸教会の聖歌で使われていた楽器での伴奏は伴わなく、声楽だけで歌われていました。
グレゴリオ聖歌
すべての西洋音楽の源流従来、グレゴリオ聖歌はその名が示すように、教皇グレゴリウス1世が口述筆記させたとの伝承がありましたが、現在の音楽史学での見解では、この説は否定されているようです。その当時はまだローマ式の典礼自体がまだ体系化されていなかった説が有力であり、同時に教皇自体が聖歌体系確立に意欲的だったかどうか疑問視されています。 では、グレゴリオ聖歌はいかにして成立したのでしょう?7世紀後半、ローマに聖歌整備のための機関「スコラ・カントールム」が設置され、ここで今日のローマ典礼に基づく成果の体系化が完了したようです。さらに、今日現存するグレゴリオ聖歌の初期の資料がアルプス以北の地で9世紀以降筆写されたものであるため、8~9世紀頃、当時隆盛をきわめていたカロリング朝フランク王国の領内で集成されたものであることがほぼ確実視されています。

フランク王国

フランク王国ではローマ教皇と親密な関係で、領地を拡大しては、ローマ・カトリックへの改宗を図っていました。それにともなって国王ピピンの時代にローマから聖歌が輸入されて、息子のシャルルマーニュの時代になると、ローマから派遣された聖職者の歌唱指導を受けて帝国内の典礼の統一が図られました。こうして、ローマ(教皇庁)とガリア(フランク王国)の提携の元、楽譜に記載されて西欧地域(今日のフランス・ドイツから北イタリア)に広められたものです。音楽的な特徴としては、イタリア的というより、むしろガリア=ゲルマン的なものが見られるのは、フランク王国内にて曲の差し替えがあったことを伺われます。

中世西洋音楽とカルミナ・ブラーナ

カルミナ・ブラーナとは、中世の放浪歌人集のことです。1803年ミュンヘン近郊ボイエルンのベネディクト派修道院で発見され、その地名にちなんで『カルミナ・ブラーナ』(ボイエルン歌謡集)と名づけられました。大部分はラテン語で書かれ、詩人たちの名は不明ですが、古典的教養を備えた遍歴の学僧や学生たちとされています。

内容

  • (1)道徳的風刺詩
  • (2)春、愛、酒、賭(か)け事の歌
  • (3)宗教歌
  • (4)宗教劇

に分類されます。その魅力は、教会と僧侶(そうりょ)の堕落に対する批判、自由奔放な生活や恋愛の謳歌(おうか)にあります。近時この歌謡の声価を一段と高めたのは、カール・オルフがこの作品に基づいて作曲した同題の舞台音楽といえるかもしれません。

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